赤字体質から高収益へ。
塾の学びが
経営判断の土台。
竹鼻実樹
株株式会社菊星
代表取締役
問屋からメーカーへのチャレンジ。9年間で3000以上の改善。
大学卒業後は大手ディスカウントストアに入社し、朝から晩まで働いていました。入社5年後には従業員300人の店舗の店長へ抜擢され、やりがいのある仕事を任せてもらっていました。30歳を機に、祖父が創業した会社へ。理容室や美容室への卸業を行っていましたが、棚卸しもいい加減、倉庫はゴミ屋敷のようで、本当にひどいものでした。私が変えようとしても、信頼がないので社員は言うことを聞きません。先輩経営者に促され、入塾すると、すべて社長である父の責任にしていた自分が恥ずかしくなりました。私よりも遥かに難しい問題に挑む経営者たちの姿がそこにあったからです。問屋だから経常利益率10%は無理。それは自分への言い訳だとわかりました。やれる方法を考えればいい。当時の私には目からウロコでした。
35歳のとき、父から私に社長が変わりました。「もうだめだというときが、仕事のはじまり」。稲盛さんの教えを思い出し、赤字体質だった会社を改革していきました。1年後、わずかな黒字を出し、今度は利益率を上げようと、問屋からメーカーへの脱皮にチャレンジ。商品開発に着手し、あらゆる試行錯誤を行い、やがてヒット商品も輩出。さらに自社の化粧品ブランドを立ち上げ、店舗で直接消費者への販売も開始しました。4年間赤字が続きましたが9年目で軌道に乗りました。その9年間で3000以上の改善を行い、高収益体質に生まれ変わりました。これまで会社の大きな判断の拠り所すべてに稲盛経営哲学がありました。さらに研究開発に磨きをかけ、海外市場へチャレンジしていきたいと思います。
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